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年末、新聞で「平成の歌ランキング」みたいなのが特集されていて、各世代ごとに内容がちょっとずつ異なるのですが、確か総点でSMAPの「世界で一つだけの花」が一位だったような。

それぞれの良さがあるので、私も比較したりされたりするのを好まないのですが、ちょっと前の「ららら♪クラシック」で、ヒドイ企画があったようなのですよ。
「最強の音楽家」と題して、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの誰が最強かって・・・。

しかも、その中でドベはモーツァルトだったとか。
私の中で、何者とも肩を並べられない唯一の音楽家になっているモーツァルトが最下位と聞いて、キーッとなったのは言うまでもありません。

放送を見ていなくて、また聞きしたワタクシめは、「わかっとらん!」と、息巻きます。
1位になったベートーヴェンはきっと当時のポピュラーミュージックだったに違いない。モーツァルトに憧れていたんだからモーツァルトのが偉いとか、くだらないモーツァルト擁護を、頼まれてもいないのに、いろいろ思ってみたのですが、言えば言うほど、バッハもベートーヴェンもモーツァルトもそれぞれに美しい曲を作っていて、それぞれに素晴らしくて、それぞれに大好きな曲があるので、反論も行き詰ってしまいました。

行き詰った私をなだめるように、「番組中では『モーツァルトで素晴らしいのは、オペラの、特にドン・ジョヴァンニ、フィガロの結婚、魔笛・・』と言う話も出た」と言うので、「ならいっか」と、溜飲が下がった次第。
(ドン・ジョバンニほとんど聞いてない・・。聞いてみよう)

バッハは音楽の基礎を作ったような「音楽の父」だし、ベートーヴェンはその時代ーー封建制国家の崩壊の始まりで時代の主役が民衆へ旗が渡されるーー時代に、それまで音楽は宮廷のもの貴族のものだったのが、民衆に向けて音楽を作った人だし(だから当時のポピュラーミュージックというのが、私のど素人根性丸出しの意訳解釈)、それぞれに素晴らしいさ。
モーツァルトは、ちょっと・・いや結構傍若無人なわがままな人だった(ようだ)し、聞きやすいメロディや、眠気を誘う感じなども確かにあるけれど、モーツァルトの唯一性は、柔軟性というか、バラエティにある感じがするし・・・。(←好きすぎて、裏付けがなく論点が弱い)

以前は、モーツァルトの音楽は天国の音楽で、人間の作ったものという感じがしない、ベートーヴェンには人間の感情の多くが反映されていると思っていたのですが、ここ1−2年モーツァルトを聴き続けていて(ほとんど魔笛とフィガロがメインですが)、モーツァルトの音楽はものすごく人間的という感じがしてきています。
特に常識などとかけ離れた、一言では表現できない感情の動き、自分でも見過ごしてしまうような感情のすべてが、全部余すところなく、音に、メロディに、旋律に落とし込まれている感じがするのです。
イマドキに言うなら、デジタルでなくアナログの波形のように。

時代時代で、様々な制約があったと思います。
今の時代が自由と言われるとしたら、多くの歴史上の経験値の上に成立しているから、これまでのサンプルがあるからではないかと思います。
それぞれの時代で初めてのことを行う人は、風当たりが強いかもしれないけれど、今から見たら考えられないほど自由な精神だと思います。
今の時代はある程度自由だけれど、経験値やサンプルが多すぎて、かえってものすごく不自由かもしれない。

バッハもベートーヴェンも、そしてモーツァルトも、それぞれにそれまでにない初めての人で、だからこそ唯一の音楽家で、今も聞かれ続けている。比べられるものではありません。
でもモーツァルトの感覚って、なんとなく現代人に近い感じがするのです。

モーツァルトは、他の2人に比べると、ものすごく自由でものすごく不自由な人だったかもしれない。
一つの旋律に、悲しみも喜びも憂いも諦めも希望も、ずるさも純粋さもいっぺんに全部入っている。
オペラでいうなら登場人物のそれまでの人生が、一つの歌に反映されている。
それが現代人にも通用する普遍性を持っているので、気持ちを重ね、心を寄せるのです。

まぁ、そもそもこの「ららら♪クラシック」の「最強の音楽家」なんて人気投票の企画が嫌いって話をしたかっただけなのですが、ちょっと熱くなってしまいました。
熱くなりついでに、ベートーヴェンもバッハも、もうちょっと聞いてから、発言するべきだな・・と、書き終わる頃に思っている次第です。

ちなみに、今はフィガロの二重唱とか三重唱とかにはまっております。
(意外としつこい性格ということが、この歳になって分かりました。)
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(竹田)

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