一月経って興奮も少し落着いてきましたが、ゆっくりと過ごした京都旅行の2日目。
昼過ぎの電車で帰る予定にしていたので、1軒だけ行ってゆっくり過ごそう!と出かけた河井寛次郎記念館。
清水寺からそう遠くは無いし、よいと聞いてはいたのですが・・・。
・・・どこもそうですが、古い建物に入るとそこの場所に古くから「在る」濃い空気感にフワッと包まれます。イヤな感じでなく、スッと浄化されるような感覚。
表からは中の様子が伺えず、雨が降ってきたのであわてて入口を入ると、その濃い空気に招き入れられました。
靴を脱いで上がると、板の間のミシッミシッという感覚が耳にも足にも心地いい。
平日の午前中で館内は人もまばら。とはいえ入口には人が居たので、そのまま中庭を抜けて向かいの建物へ。
向かいの建物は通路がそのまま陳列棚になっていて、「いいな、あんなの欲しいな」と勝手なことを思いながら寛次郎作品を眺めていたら突き当り、同じ通路を戻りました。
そこで、オヤッと思ったのは、今し方見た色や形が異なること。ひどいと「あれ、あんなのあったっけ」と思う作品まであります。
さして長くもない、せいぜい6、7m?の通路で、さして多くもない作品数。
左から右へ行って突き当り、右から左へ戻っただけなのに、随分印象が異なるのです。
「見る」とはずいぶんいい加減なものだな、と思ったと同時に、なんとなく寛次郎に試されているような気分になり、ちょっと面白くなってきます・・・。
そのまま窯の方へ上がっていけるので、陳列棚を背に次の間へ。
「間」と言えるのか、猫の額ほどの小さな空間が。
部屋の中庭側の壁は一面窓が開け放されているのですが、窓枠で四角くトリミングされた中庭は妙に立体的で存在感があって、そのまま庭に足を踏み入れるより一層せまってくるというか、庭の真ん中に居るような錯覚を起こします。
不思議な感覚を大切に抱えながら、ランダムに作品が置かれた囲炉裏のある部屋を過ぎて、ゆっくり登り窯のほうへ上がりました。
大きな登り窯の周りを歩きながら、中を覗くと向こうが見えます。
この窯の中を抜けて向こうに出たら、違う時代にタイムスリップしたりして。
そうしたらまず1番に誰に会いに行くだろう・・・、などSF的なことを思う自分を笑いつつ、今は主を失った静かな窯を背に、囲炉裏の部屋に戻ると、さっきと見え方が違う。
またか、でも段々慣れてきたゾ、と可笑しく笑い飛ばすと、部屋全体が見えたような気がしました。人は見たいものを見るんですね。
受付のあった板の間に戻り、箪笥になっている階段をあがって2階へ。
2階あがってすぐの部屋は、普段使いのままのような雰囲気で人の家に上がっているような気分になりました。
奥の畳の部屋に足を踏み入れ、部屋の中央に立ちぐるっと見まわします。
後は床の間。右は入ってきた廊下。前方と左方は大きく窓が開けられ、向いの離れの屋根が見えました。
同じようにこの屋根を見たろうな、と。
・・・ふと「お邪魔してます」とつぶやきました。
人の家に上がっておいて、挨拶もしてなかった!と思って。
貫次郎の木彫りの作品たちが、そっぽ向いていたのが急に笑ったような気がして、伸びやかな気分になりました。
随分ゆっくりした時間を過ごしたな、と時計を見たら、電車の時間が危うい!
また絶対来ます!と、あわてて館を後にしたのでした。
雨がパラっと降りましたが、薄もも色の古都・京都の旅、大いに満喫いたしたのでございます。