昨年末、20年ぶりに三島由紀夫の「金閣寺」を手に取り、まるで初めて読むような感覚に陥りました。果たして20年前にどれほど理解できたんだろうか。
字面を読んではいても、作品の美しさなり生命力を享受していたとは思えない…。
そんな風に読んでいる中で、主人公が音楽について語る一節がありました。下記にまるごと抜粋してみましょう。
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それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ!吹奏者が成就するその短い美は、一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、蜉蝣のような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかった。…
三島由紀夫著「金閣寺」東京・新潮文庫 昭和35年9月25日発行
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これは、おそらく書いた時の三島の音楽観ではないかと思いますが、イギリスの文学者のウォルター・ペイターの言葉「全ての芸術は音楽の状態に憧れる」に繋がると思うのですが、絵でも文学でも、発せられた瞬間というのは未完成で、更に絵ならば複製は価値が下がるわけですが、音楽は常に瞬間瞬間を生きている。オーディオでさえ、同じシステムで同じ部屋で鳴らしたとしても毎度微妙に異なるわけで、なるべく鮮度を保てるようなシステムであったり、接続の仕方であったりということが重要で、オーディオも生音も、出音に関していえば極論、その在り方は変わらないような気がします。(もっと熟考が必要ですが!)
60年近く前に書かれたこの文章が色褪せず、普遍的なものであることに驚きを持って読むのですが、やっぱり音楽って、謎めいているというか、相当不思議な存在なのですね。
いろんな人が音楽について書いていますが、昔の人がどんな風に捉えていたか、備忘を兼ねて時折書き留めてみたいと思います。
(竹田)