本日のLOUNGEイベントは、恒例の、麻倉先生ナビゲートのユニバーサルミュージック、ハイレゾ試聴会でした。それに加えて来週土曜日に生誕100年を迎えるバーンスタインの特集という内容。
三部にわけて、一部ではバーンスタイン作の楽曲を現代の演奏家が演奏した新録音、二部ではUHQCDになったバーンスタインの名演を、三部ではDSD化されたものを…という、バーンスタイン尽くしの一日。
個人的には、これだけ集中してバーンスタインを聴いたのは初めてで、大変興味深くもあり、、。
初めて聞いたバーンスタイン作曲のミサ曲、一聴して「この人幸せな人生を送ったのだろうな」と思いました。
ミサ曲というと、私のような無知の者には、荘厳、敬虔、神、など多少の重くるしさを感じてしまいますが、バーンスタイン作曲のミサ曲は、あまり重くるしい感じがなく、明るさとか、ありがとー!みたいな根明な感謝、軽やかさがあり…。全曲聞いたわけではないので読み間違えがあるかもしれませんが。
しかしながら、聞けば聞くほどその思いは強まります。
モーツァルトのジュピター、マーラーの5番、チャイコフスキーの悲愴などなど、オーケストラの違いはあれど、一言で言って明るい。
モーツァルトの曲って、楽しくて明るい曲がたくさんありますが、行間にシニカルさがあるような、もしくは裏読みがあるというか、単純に明るい、美しいだけで済まない感じを受けるのですが、バーンスタインの明快さは、ただ「明るいだけ」というのでもなく、なんと言ったらよいか、「本当に明るい」つまり「愛されキャラ」という感じ。
カラヤンのことを帝王とは呼んでも、バーンスタインはそうならない。巨匠だけど、友達になりたい、なれる人みたいな、そんな根っからの社交家的明るさがあるように感じます。
音楽に対しても、情熱的で分かりやすくて、真っ直ぐな愛情があって…。
やはり、どんなにしても、幸せな人生を送った人に思えます。
分野は違うけれど、この前都美術館で観た藤田はあれだけの才能で、素晴らしい絵を残してきてるけれど、バーンスタインとは真逆な感じ。藤田の絵には後になればなるほど苦悩を感じます。
かたやアメリカを代表する巨匠、
かたや母国に認められなかった芸術家。
これを書いていて今気がつきましたが、バーンスタイン生誕100年の今年、藤田嗣治没後50年。
さらに、レナード・バーンスタイン Leonard Bernsteinと、フランスに帰化した藤田の名はLeonard Foujita。どちらもLeonardなんですね。
二人ともおおよそ80年の人生を送り、ターニングポイントも本格的な活躍もそれぞれ同じ年頃に。
全く関係ないところから引っ張り出した割に上手いこと繋がって、書いている本人が一番楽しいという話…。