シツコイと思われますでしょうが、最近頭からワーグナーが離れません。
「トリスタンとイゾルデ」のオペラやコンサートに行ったことももちろんありますが、ひとたび「ワーグナー」と口にしたら、何かと話題に上がります。
最近はルキノ・ヴィスコンティの映画「ルードヴィヒ」を見直しました。
20歳そこそこで半分寝ぼけながら観たこの映画のことをすっかり忘れていました。遊園地の白鳥みたいなのに乗っていたり、神経症なの、くらいにしか覚えていなかった。約3時間という長さにやや躊躇い、衣替えしながら、と観始めましたが手もとの作業は捗りませんで途中で諦めました。
ワーグナーに食い潰されたと言ったら語弊がありますが、芸術の庇護者であり、バイエルン国王ルードヴィヒ2世の話で、人間とは思えない美しさのヘルムート・バーガーが主演で国王を演じます。
演じている感じは全然なくて、なりきっている。監督のヴィスコンティとは公然の仲で、ヴィスコンティ亡き後は色々大変だったようですが、こんな映画に残されたら役者人生としては幸せかと。いや、不幸なのかな。
お話し自体は歴史ものだし、ルードヴィヒ2世の精神が退廃的だったわけではなく、こよなく芸術を愛した結果に起こったことだと思うので意味が少し違うかも知れないけれど、この映画全体に流れるデカダンスの空気に、ヘルムート・バーガーの美しさがグロテスクで、異常さを醸し出していて、まぁ割と目が離せなかった。これは私のハタチの頃の精神じゃ分からなかったなとも思いました。
ルードヴィヒの庇護下にあったワーグナーが時折登場しますが、ワーグナーの肖像ととても似ています(ルノワールが描いたものよりもよほど似ている)。また映画全編通してワーグナーのオペラから音楽が引用されます。本人役が登場するより効果的。
しかし思いました。ワーグナーはルードヴィヒに会わずともワーグナーであったかもしれません。ですが、ワーグナーの音楽があれほどの大きさを持つのは、やはりこのルードヴィヒ2世、つまり国王が国を揺るがすほど国庫を使った、その事実が絶対に関わっていると。現代だって、どこかの国の責任持たされた人たちはどうせ使うなら私服をこやすなんてケチなことでなくて、これくらいまでやれば、、なんて無責任なぼやきをしつつ、、
とっても残念なことは全編イタリア語。そりゃ、イタリア人のヴィスコンティですから当然なのですが、ロミー・シュナイダーもヘルムート・バーガーもオーストリアだし、セットもすごいのに、イタリア語の音が最後まで馴染まなかった。。と、鑑賞者は勝手なことばかり言います。
でもドイツオペラとイタリアオペラの、言葉のもつ音の違いがあるように、やはりずいぶん違うものです。
(竹田)