「善き人のためのソナタ」ドイツ映画。
舞台は東ベルリン。ベルリンの壁が崩壊する前後の話。
国家保安省に勤め、信じるもの(国家)に対して忠誠を誓い、信念を持って仕事する。
そうした真面目で勤勉な一人のシュタージ(要はドイツの諜報機関)の局員が主人公。
平たく言えば「権力をふるう」側に所属し、自分の仕事に信念を持って真面目に仕事をしている勤勉な人。(その存在が如何に怖いか、ということを時々思います。
なぜなら自分は国家の為によい事をしていると思っている(かもしれない)から。)
その主人公がマークするターゲットは、信念を貫くには命がけで自分の主義・主張を唱えなければならない時代で、やみくもにどなったりわめいたりして主張するのではなく、静かに静かに自分の思うことを曲げずにやろうとする劇作家。
その劇作家の家に盗聴器やカメラを仕掛け、反体制的なものを見つけたらすぐに逮捕・・・という、現代の日本からしたら信じられないようなやり方。
シュタージである主人公は、彼ら(劇作家と恋人の女優)の家の屋根裏に張り付き、その生活のすべてを監視するのです。
盗聴カメラとテープを通して監視するうち、この局員はどこかで劇作家と女優に魅せられていきます。
それは、彼らの主義・主張がどうこうではなく、「生き方」に魅せられたのではないかと私は思います。互いに尊敬しあい思いやり、そして人間らしく振る舞うその姿、姿勢に「生きる」ことの意味の深さ、美しさを感じたのでは?と。
こう書いてしまうと、勧善懲悪の「どちらがどうだ」みたいな感じですが、この映画それだけではないんです。
この映画のことはどこまで説明したらいいか、実際よくわからないのですが、固定観念で見るのではなく、「感じる」映画。
全てがうまくいって終わるハッピーエンドではないです。
利益を得るためではなく人が動く時のなにか、大きな悲しみ、小さな喜び、色々あってそれぞれの人生がある。
見終えたときに「よかったー」と伸びをするような爽快感などではないのですが、そこはかとなく心が温まります。
沢山の人に見てほしい映画。
これは実話というわけではないのでしょうが、1984年のドイツが舞台のこうした映画が、20年たった2006年に出来、アカデミーの外国語映画賞を始め、各国の映画の賞を受賞していることが、また心温まります。
(竹田)