今日は早引けして川崎へ行ってまいりました!
フィガロの結婚!!
夏頃からチケットをお財布の中で温めて、耳と頭は数ヶ月前からモーツァルト仕様にして、万全の体制を整えて、行ってきました!
まぁ、とにかく、感動したとか、いいとかそういうのは当たり前。
曲が良くて、音も良くて、演奏も良くて、オペラ歌手の外れもなくて、素晴らしいコンサートでした。
そんなことはさておいて、すごく面白かったこと。
フィガロの楽しみ方・・とでも申しましょうか・・。
1つには、登場人物の思いや、気持ちの動きがとても普遍であること。
「フィガロの結婚」の粗筋を読むと、バカバカしすぎて見る気も失せるくらい単純な内容ですが、実際は、登場人物の心の動きは歌になり、美しい旋律に乗って、観客の耳に届きます。
言葉はというのは不思議なもので、何度も同じフレーズを繰り返したり、あるいは旋律に載せられると体温や血脈を得て、ただの文字面よりも、ずっと色々なことを含んで生き生きとしてくるのです。
おそらく、内容が単純で、馬鹿馬鹿しいから余計に、その一喜一憂は親しみをもって感じられるかもしれません。
もう1つは今日の発見。
今日のフィガロは、オペラといっても簡易版。
オーケストラも普通より小編成で、オーケストラピットなどはなく、オーケストラとオペラ歌手は同じ舞台に。
舞台装置はなく、オペラ歌手の面々は、オーケストラの周りを行ったり来たり、時には指揮者との掛け合いがあったり、そんな雰囲気。
そうした演奏の中で気付いたのは、オーケストラの役割。
今まで、オーディオで聞いていた時は、もちろんオーケストラの旋律の美しさは、独唱や、重唱のハーモニーとセットで聞いていたのですが、オーケストラをそんなに意識していなかったかも。
今日観ていて面白かったのは、オーケストラが、時には独唱しているオペラ歌手の心の動きを表現し、時にはその状況を表現し・・と、役割が変わること。
例えば、フィガロが勘違いをして自分の妻へ疑いを持って「女ってのは信用ならない。魔法でたぶらかす魔女だ」と歌うところなどは、オーケストラが、女性の魔性を表している感じがするし、伯爵夫人が夫の心がいつの間にか離れたことを嘆きながらも取り戻そうとするアリアでは、夫人の心の動き・・昔を思い出したり、頭にきたり・・に沿っている。
様々な問題の終結が予想され、「なんの気兼ねもなくやっと愛する人と一緒になれる」というフィガロの新妻スザンナのアリアでは、小川のせせらぎやそよ風、花、と言った自然への回帰に見立てながら、愛する夫への自然に溢れ出る愛情を歌うのですが、オーケストラが自然界のそよ風や花の香りのような穏やかな雰囲気を醸し出します。
面白かったのは、伯爵が雇い人であるスザンナに言い寄っているのを、策略があるので嘘でいいから受け入れてと伯爵夫人に言われ、イヤイヤながら、伯爵の思いを受け入れますというシーン。
伯爵は「今まで同じ思いだったならなんでつれなかったんだよ!でも嬉しい!」
スザンナは表面上・言葉上、伯爵の思いを受け入れますが、時々心の声で「やだ!」という思いが見え隠れ。
そんな時オーケストラのフルートが呑気な旋律を奏でます。
伯爵の熱い想い、スザンナの「うぇ!」という気持ち、それが同じ場で起こっているのが、オーケストラの呑気でどこか「我関せず」的な旋律で、奥行きが出てくるのです。
この、オーケストラの表現力で、人間模様の奥行きが出るので人気があって、いまでも聞かれるのでしょう。
ちなみに、歌舞伎だと、オーケストラがない代わりに、「間(ま)」沈黙というのでしょうか。
セリフとセリフの間の一呼吸、ふた呼吸が舞台そう以上に劇に奥行きを与えます。
こういうところ、日本画の余白の作り方と、洋画の画面を立体的に絵の具で埋めていく感じによく似ています。
この興奮、好奇心が熱いうちに、オーディオで再現いたすとしましょう!
(所で明日行く予定だった辻井さんのコンサートは、あろうことか、一月間違えていて、なんと先月知らないうちにチケットを無駄にしていたという話。明日は通常通りの営業です。)
(竹田)