実家で電話をとると、母とよく間違われます。
えんえんと話されることもあります。
きっと皆様の中にもそういう経験をされた方は多いのではないでしょうか。
これは、骨格だとか、体型だとかが似ているので、おそらく同じように響いたりするのだと思います。(もちろん癖もあるでしょう)
そう考えると、似ていても同じ顔した人間がいないように、同じ声をした人間は居ません。
そしてそれを聞き分けるんですから、人間の耳ってすごいですよね。
また、それをオーディオで再現しようと言うのですから、本当にスゴいことだと思います。
だって、機械は到底人間の喉の質感や骨を再現できるわけはないのに、人間の喉よりよほど固い材質のコラボレーションで、再現してしまうのですもの。
考えれば考えるほど不思議な気がします。
例えばシナトラでも、若い時と年取ってからの声は違って、それをオーディオで鳴らす時、低域がちょっとつまっていたりすると、鼻づまりの声になったり、十分な低域が出ていないと喉を押しつぶしたような声がでたりするわけです。
こんなに微妙なことなのだなぁと思います。
瀬川冬樹先生の「虚構世界の狩人」を読んでいますが、その中で
エジソンの蝋管から人の声が出た時に、まるで本物と言われ、その後瀬川先生が聴かれたオーディオシステムの音がナマに近づいた時、もしかしたら未来では今(当時)の音の何がナマかというくらい、もっとナマに近い音を鳴らしているかも・・・というような下りがありました。
まさに先生の予想通り、アナログでもデジタルでもものすごい進歩を重ね、音としてのナマっぽさに近づいてきました。近づいたかもしれません。
でも、本物にはなり得ない・・・未来永劫果たしてそうかわかりませんが。
本物になりそうでなり得ないから、オーディオに没頭するのかもしれませんし、ナマとオーディオは別物でいいのだと思います。
でも、やっぱりミュージシャンを部屋に呼び寄せたい気があるのだなぁ。
人間は傲慢なんだなぁ。しかしその傲慢さがここまで発展させてきているのだなぁ・・・
などと思いを巡らす春の夜の夢。