言葉や習慣が異なると、誤解が生じたり理解するのに時間がかかったり、そもそも自分とは関係ないものと思ってしまったりする。
音楽はすべてと言わないまでも、言語や習慣を、ある程度超えるところがあると思う。
でも、オーディオ自体はちょっと言語的というか、冒頭に書いたことと似ているところがある。
私もオーディオ店の人間として、その言語を理解することに努めています。
そもそもオーディオ業界に入った時に、音楽を聴いてこれだけ楽しいのに、それを誰もが享受することができるはずなのに、敷居が高いというか、わかりにくすぎる!…ので、
何もわからない自分が理解、納得できれば、オーディオを知らない人もこの面白い世界に興味を持ってもらえるのでは?と言う気高い(!?)志しのもと、サウンドクリエイトのブログを始めたり、記事広告を作ってきたりしたのでした。
なので、言語的なオーディオの理解に励んできました。
郷に入りては郷に従え
とか
朱に交われば赤くなる
というように、言葉や習慣を覚えれば、つい自分も分かったような気になってしまう。
その度に、Legatoの店頭で、失敗も繰り返しました。当たり前のようにオーディオを話してしまって、詳しいんですね、こう言う世界があるんですね、自分にはとてもとても…
と、近づいてもらうつもりが遠ざけたりと。
よき案内人になりたいと思う。
よき案内人は、いうことをそのまま聞く人ではないとも思う。
言語は習得した方が良い。
けれど、技におぼれても良くないと思う。
言葉を超えている音楽に近づける日は、さて、やってくるのかな。