夏期休暇中、本棚の整理をしていて何となく開いたミヒャエル・エンデの「モモ」。
小学生の時に買ってもらって一度読んだきり、本棚に入りっぱなし。
大筋は覚えているものの、えーーっとと、ひとたび開いたらとまらなくなってしまいました。
本の描写から、景色はうっすらと覚えています。
昔行ったことがある場所、遊んだ記憶があるともだち・・
でも、どんなことをして遊んだか、どんなことを喋ったかぜんっぜん覚えていない。
そんな感じです。
しかも、読みながら、これ、小学生で理解出来たのか、と疑問がわきました。
「今」だからわかるけど当時わかったかな。
たとえば・・・
廃墟になった円形劇場に住むモモ。
モモは、家族もいないし、お金も持っていない。年もよくわからない。
でも、モモのところには色んな人がくる。
町で何か問題が起これば、皆合い言葉のように「モモのところに行ってごらん」というフレーズが飛び交う。
モモは、よいアドバイスをしてくれるわけでも、なんでもないけど、
ただただ、一生懸命に話し手の話を聞く。
聞いてもらった人は、モモが一生懸命聞いているので、一生懸命話す。
その内に、自分で答えを見いだしたり、気持ちの溜飲が下がったり、
それで町は明るくなって、皆モモのことが大好き。
人の話を聞く時間はたんまりいくらでもあって、それがモモの財産。
そして、そういうモモが町の財産・・
その後は、本の表紙にもあるように事件が起こっていくわけですが・・
思えば「話を聞く」というのは、意外と難しいことで、
パワーのいることです。
私自身、子どもの頃の夢は長いこと「教師」でしたが、
教育実習中に、生徒のみんなから次々にくる色々な話や相談や、質問や・・
そういうことに「とってもじゃないけど、今の自分には受け止めきれない・・」と断念したのでした。
そもそも「受け止めよう」ということ自体が違っていたのだと思いますが、
それほど、「誰かの話を聞く」というのは、パワーの居ることなんだと思います。
それが、たわいない話であろうと、本気の相談であろうと。
「モモ」、初めて手にしてから、30年近く経ってやっとこの本を理解した私・・。
一方で、「物資の豊かさ」と「心の豊かさ」とが正比例ではないことが40年以上前に書かれていたことも驚きで、
それは当時からしてみれば、更に加速しているのかもしれず、
その結果としてある、物資豊かな東京の街をシンゴジラが有無を言わさず壊していく様を観る・・・
という奇妙な夏期休暇でございました。
余談・・モモの親友の一人「ジジ」こと「ジロラモ」が、とても架空の人物には思えないのもある意味コワイ。