ビル・エバンスのワルツ フォー デビーをいつからか聞かなくなった。
あまりに感傷的になりすぎる感じがして。
そもそもJazzを聴き始めたきっかけを作ってくれたのはこの曲だったのに。
ビル・エバンスが感傷的に演奏しているからということではなくて、スコット・ラファロがあの演奏のあとまもなく事故で亡くなったとか、幼い姪デビーに捧げた曲だとかそういうことに、感傷を投影し過ぎてしまう自分がいつしか嫌になった。
エバンスの音楽はあの一枚、あの一曲だけではないし、エバンスの演奏する「ワルツ フォー デビー」でも、モニカ・ゼターランドがスウェーデン語で歌うものや、キャノンボール・アダレイのサックスが小気味好く歌うものの方が肩の力が抜けて好き。
でも肩に力が入るのは、きっとこちらの問題で、本人にとっては全然違うか、こちらが思っているほど重要なことではないということも大いにありえる。
オーディオでも、一つのことだけを取り上げて、凄いということが多々あるけれど、それは全てバランスで、その人が何を選び何を聞きどう感じるか、どれ一つとして欠けては成立しないものだとおもう。
だって、アンプがなければスピーカーはならないし、インターコネクトケーブルを繋がなければ信号を送ることはできない(この点LINN EXAKTは別!?)、音楽がなければ音は出ない。それを鳴らして気持ち良いか良くないかを感じる「ワタクシ」がいなければ成り立たないもの。
そんな単純なことで、トランスだけに目を向け、DACのチップがどこ製のものかに目を向けても、あまり意味があるようには思えない。
それ一つで鳴っているわけではないから。
それだけでは判断の基準にはならないと思うのです。
エバンスの音楽が、ワルツフォーデビー以降、やまのようにあるのに、それを見ていない私は、エバンスの音楽を知っているとは言えないかもしれない。かと言ってあの一枚に集約されていると言われたらそうかもしれない。
ただ、単純に好きか嫌いか、興味があるかないか、それでホントはいいのに、偏屈のようにこだわってしまう。
エバンスのワルツフォーデビーは、感傷を投影しなくなった時、どんな風に聞こえるか改めて聞いて見たい。
しばらくお休みの一枚です。